ケガや病気と違い、子供が不登校になった時に最も辛いのは「出口が見えない」ことだと言います。いつになればもう一度学校に通いたくなるのか……それは子供にも保護者にもわかりません。
一人っ子の娘が高校1年生の時に不登校になったY様も、その心痛を嫌というほど味わった1人です。
しかし、Y様はその都度「頼れる人」を見つけ、子供との距離感を大切にしながら少しずつ自立を促していきます。すべては「昔の友達と同じ学年で大学に通いたい」という娘の想いを叶えるために。
今年の春、お嬢さんは『ECC学園高等学校』を卒業し、無事に大学への進学を決めました。不登校になり、脱した3年間にどのようなことが起こったのか。 「自分の体験を話すことで、少しでも同じように悩んでいる保護者の役に立つのなら」と快く語っていただいたY様の言葉をお届けします。
立ち直ったのに叱責され、学校の門がくぐれない。

小・中学校を快活に過ごした娘が選んだ高校は、家から通える公立の進学校でした。もともと環境の変化に弱く席替えが苦手でしたが、小・中学校は比較的ゆったりとした雰囲気だったこともあり、大体6月頃から学校に慣れていくのが通例でもあったんです。
しかし、高校ではその変化にうまく順応できませんでした。ひたすら勉強だけが求められる環境から眩暈や熱が頻発し、父親と一緒に「もう行かなくていい」と私たちが止めるほど。
ただ、娘の将来を考えるとずっと学校に通わないわけにもいかない。何がベストなのかアドバイスを求め、仕事の合間を縫って高校のスクールカウンセラー、保健室の先生、さらには娘が卒業した中学校の校長先生にまで話を聞きに行きました。
たまたま保健室の先生が経験豊富な方だったこともあり、2週間に1度のペースで保健室へ通い相談。
「ずっと家にいると、そのうち暇になる。暇になるという感覚はエネルギーの充電が完了したという合図でもあるから、その時にやりたいことをやらせてほしい」と先生に言われ、娘が昔から病院好きだったこともあり、思春期の子供を診てくれる心療内科へ通うことにしました。
カウンセラーと話すうちに少しずつ前向きになり、娘にもう一度学校へ行こうとする気力が生まれ、保健室登校が決定。ただ、保健室の先生は「ゆっくりでいいよ」と言ってくれたものの、学校側は「留年にならないように」「進学率アップを目指して」保健室でも勉強漬けに。
ようやく学校に戻れる兆しが出てきたのに、「こんなこともわからないのか!」と怒鳴られ、娘は学校の門がくぐれなくなったんです。
その話を聞いた時は、私の方が眩暈を起こしそうでした。公立高校の教師が、不登校から立ち直ろうとしている子供を勉強のことで叱責するのかと。
そして、また欠席が続くようになった結果、高1の10月に留年が決まったんです。

エレベーターが怖いなら、先生と一緒に乗ればいい。
娘には「小・中学校の友達と同じタイミングで大学へ行き、卒業したい」という想いがあり、留年が決まったことで私たちも何かしらのアクションを起こさなければならなくなりました。
しかし、いろいろ調べると私立高校や定時制高校へは転入できないことが判明。その時点からの転入では次年度にもう一度高校1年生をやらなければならず、友達と卒業が1年ずれてしまうんです。
残った選択肢は、通信制高校のみ。
ただ、娘が学校に通えなくなってから私も不登校に関するさまざまな本を手に取り、その中でECC学園高校の前教頭である金馬先生(故人)の本を読み、「こんな先生に子供を預かってほしい」と考えていたこともあり、通信制高校への転入は家族全員が望んでいました。
いくつかの学校を見学し、多くの学校で12月中に決めてほしいと言われたものの、ECC学園高校だけが「1月頭の転入ならギリギリ単位が取れる」と言ってくれ、転入が決定。 当初は「エレベーターに乗るのが怖い」と言っていた娘に、「それなら先生が入り口まで迎えに行くから、一緒にエレベーターに乗ろう」と提案してくれた時は本当に有難かったですし、この学校に決めて良かったと心から思いました。
タイミングを見て自立を促すと、自由を謳歌するように。
通信制高校にはスクーリングがあり、ECC学園高校も滋賀県高島市で行います。卒業に必要なことですが、高1の時は「心配ならついてきますか?」と先生に言われ、近くに宿泊しました。
高2になり学校には慣れていましたが、やはり宿泊は緊張する様子だったので2度目のスクーリングの際も念のため近くに宿泊。すると、1日目の夜に「どうしよう?」と不安気なメールがきました。
公立高校在籍時に学校の門の前でこのメールを受け取っていたら、すぐに迎えに行っていたと思います。でも、いまは信頼できる先生方が近くにいる。そこで「先生に相談してみたら」と返すと、返信はありませんでした。

これが転機となり、娘は自立。友達と一緒に登校するようになり、自由な学校生活を謳歌し始めました。進学を意識してからは個別指導の塾に通い、大学に合格したら本屋でアルバイトも。
不登校だった時には想像もできませんでしたが、娘が自ら環境の変化を望み、興味のある道を歩み始めたのも多くの友達や先生方に恵まれたから。
同時に、娘だけではなく、私自身も信頼できる大勢の方から支えられた3年間でしたね。
インタビューにはECC学園高校の現教頭先生にも同席していただきましたが、2度目のスクーリング時にきたメールに対しても「迎えに行こうか」と返信していたら、自立はもっと遅れたかもしれない、と仰っていました。
不登校について学んだY様は、親子の距離感を適切に測りながら、最適なタイミングでお嬢さんの背中を押したのだと思います。
そして、そのタイミングを掴めたのは「普段から子供たちの会話を本当によく聞いてくれている」という先生方のサポートがあったから。保護者と先生方の信頼関係があってこそ、不登校は早期解決できるのではないでしょうか。